グリゴリー・ソコロフについてピアニストの私が語ってみる①導入編
はじめに
グリゴリー・ソコロフというピアニストがいる。ソ連の産んだ巨星である。
存命中の偉大なピアニストを三人挙げろという無茶な質問をされたら、私は迷わずソコロフの名前を最初に挙げるだろう。
彼は1950年にソ連で生まれ、16歳で泣く子も黙る天下のチャイコフスキーコンクールで優勝している。70歳になる今年2020年まで、日本語版Wikipediaによると1000回以上の演奏会をしているという。
私もそのうちの3回をオランダのコンセルトヘボウで聴いたことがある。
今回は、実際にコンセルトヘボウの楽屋に押しかけて楽譜にサインを頂き、ツーショットを3年連続で撮ってもらい、「ピアノの魔術師」の手を握らせてもらった私が、ソコロフの魅力について3回に分けて好き勝手に語ろうと思う。1回目の今回は導入編ということで、ソコロフの演奏活動がどうして限定された場所でしか行われていないのか、ということについて書いてみた。
ソコロフのライブが聴ける国は限られている
ソコロフは日本にもう何十年も来ていない。なぜだろうか。
彼は2008年5月にイギリスで予定されていた演奏会をキャンセルしているのだが、その理由が「EU圏外の人間がイギリスに入国の際のビザ申請時に指紋を提出しないといけない」という新しいルールに不満があったからのようだ。
2009年にも同様の理由でイギリスでの演奏会をキャンセルしている。イギリスのテレグラフ紙によると、「このような要求はソビエト時代の圧政を思い起こさせる」と抗議していたらしい。
私の勉強している音楽院の教授も旧ソ連領ラトビア出身で、バリバリのソ連時代のモスクワ音大仕込みなのだが「あの頃」の話になると途端に顔が険しくなる。教授がチャイコフスキーコンクールで入賞した後に撮られた写真を見たことがあるのだが、なんとアップライトピアノが背景にあったのだ。「先生はまさかチャイコンにアップライトで練習して臨んだんですか?」と聞いてみたら、「そりゃ学校のグランドで練習できたけど、皆が帰った夜に少しだけとかで、あとは専らアップライトだったよね。今でも古くてボロボロのピアノを弾くと落ち着くよ、あんまりピアノが良いものだと逆に緊張しちゃう。」と教えてくれた。物に溢れ、言論の自由がある時代しか知らない24歳の日本人からしたら、ソ連は「ディストピアなんだろうけど実際どうだったのかはイマイチ想像できない」という漠然とした過去の失敗、くらいの認識である。ソ連時代を知っていてロシアから逃げてきた人も、今時の若いロシア人でも、私がヨーロッパで出会うロシアの外に住むロシア人は大抵ロシアのことが大嫌いである。余程住みにくいところなのだろう。
話が逸れたが、イギリスを除くヨーロッパ内ではツアーを行っているソコロフが、アメリカや日本にも長らく来ていないのは、恐らくこのビザ申請の一件で疲弊してしまったのもあると私は思っている。演奏会に集中したいのに、つまらない理由で束縛されたくないのではなかろうか。ただ私も明確な理由はわからないので、これは過去の記事からの私の推測である。
そんなレアなピアニストなのだが、2020年5月に新しいCDを出した。2017年から毎年「ソコロフだけは見逃せない!」とコンセルトヘボウに足を運んでいた私だが、今年2020年は憎き某ウイルスのせいで3月に予定されていた演奏会が中止になってしまった。なのでCD発売はファン的には歓喜の極みだ。このCDには2019年・20年のツアーでのライブ録音を集めたものなので、私が2019年5月にコンセルトヘボウで聴いた作品を別の演奏会場で録音した音源も収録されている。これに関しては第3回目でガーディアン紙の批評に対する私の意見も含め、書いてみようと思っている。
ここまで読んだけど実はソコロフを知らないという方は...
今すぐマッハでYouTubeに飛んでSokorovと検索してみて欲しい...もしくは私の思うザ・ソコロフの録音を下に幾つか貼っておくので、とりあえず身構えずに軽い気持ちで再生してみて欲しい。
そしてこちらのハイドンのソナタは2018年のツアーのものなので、私もコンセルトヘボウで生の演奏を聴いている。というわけで、次回はソコロフの演奏の魅力について、ピアノを21年間真面目に勉強してきた現在留学中の私の視点で語ってみようと思う。留学中、といってもつい一昨日修士の試験の録音が終わったので、そろそろ卒業するのだが...
全く内容が同じ記事はこちらのリンク(noteの記事のリンク)からも読めます。