ラヴェルと日本④ラヴェルの友人、モーリス・ドラージュ
ラヴェルの生涯の親友と言えば、迷わずフランス人作曲家のモーリス・ドラージュ(1879-1961)の名前が挙げられるだろう。しかし、ドラージュが日本に訪れたことがあることや、その他にも様々に日本と繋がっていたことは、あまり知られていないのではないか。第4回目は2人のモーリス、ラヴェルとドラージュに焦点を当て、ラヴェルと日本の関係を見ていく。
ドラージュの『4つのインドの詩』
ストラヴィンスキーの話を書いた前回の記事に登場したドラージュだが、現在の日本ではストラヴィンスキーやラヴェルのような大作曲家とは見なされていない。しかし、彼は当時の新進気鋭の作曲家で、ドビュッシーもストラヴィンスキーも彼の音楽性を高く評価していたし、何よりラヴェルの数少ない(というか殆どいない)弟子の1人である。勿論、アパッシュのメンバーでもあり、ラヴェルの『鏡』の『鐘の谷(La vallée des cloches)』や、前回の記事で扱ったストラヴィンスキーの『3つの日本の抒情詩』の1曲目『赤人』もドラージュに献呈されている。
つらつらと書いていても、彼の音楽の美しさは文面で表現できないので、とりあえず以下の録音を聴いてみて欲しい。ドラージュが1912年作曲した『4つのインドの詩』で、ジャネット・ベイカーの録音だ。
1912年に日本やインド等アジアの国々への旅行を終えて帰ってきたドラージュに、ストラヴィンスキーが影響されて『3つの日本の抒情詩』が作曲されたことは既に書いた。この時代に日本に旅行するということは、当時の基準からしてみたらかなりレアな体験である。少し後になるが、1920年代に日曜日の午後にラヴェルの家に集まっていた18人のラヴェルの友人たち(下の資料を参照)の中で、日本に行ったことのある人はアンリ・ジル=マルシェックス(次回以降の記事に登場)、アレクサンデル・タンスマン、ジャック・ティボー、そしてドラージュの4人だけである(私調べ)。
ストラヴィンスキーの『3つの日本の抒情詩』、ラヴェルの『ステファヌ・マラルメの3つの詩』、ドラージュの『4つのインドの詩』は同じ頃に作曲され、ソプラノとアンサンブルという同じような楽器編成を持ち、更には同時に初演されていることは特筆すべきだろう。上記の3曲の楽器編成を私が表にしたものを、下に貼ってみた(画像が小さくて見にくければすみません...。)3曲の楽器編成がとても良く似ていることが分ると思う。3人の作曲家が、同じ時期に、同じような編成で作曲し、お互いをインスパイアし合った結果がこの3曲なのである。
ドラージュの日本への興味とラヴェル
さて、ドラージュの代表作についてざっと見てきたが、彼は日本へ実際に訪れたことがある数少ない作曲家の一人として、どのくらい日本に興味があったのだろうか。残念ながら私は全くフランス語ができないので、ドラージュに関する話はラヴェルやストラヴィンスキーに関する英語(か日本語)で書かれた文献に出てくるものを通してしか知ることができなかった。ドラージュの書いた手紙一式をまとめた本などが出ていたら面白いのだろうが、そういったものは見つからなかったので、既成事実を寄せ集めた推測しかできない。ドラージュと日本とラヴェルに関する私が見つけた事実を並べてみよう。
① ドラージュはラヴェルの生涯を通した親友であり弟子であった。
② ドラージュは1912年に日本を訪れたことがある。
③ ドラージュはストラヴィンスキーに日本画を貸したり日本語の文章を教えたりしていた(1912年夏頃)
④ ドラージュは薩摩治郎八や藤田嗣治ら日本人とパリで親しくしていた(主に1920年代から)
⑤ ドラージュは古今和歌集の和歌を元に『7つの俳諧』を1924年に作曲している。
⑥ドラージュとラヴェルはジル=マルシェックス宅で1925年に三味線の演奏会を聴いたことがある。
⑦ドラージュは『サムライの死によせて』を1950年に作曲している。
④、特に薩摩治郎八に関してはこのラヴェルと日本シリーズの中で後に触れるつもりである。⑤の『7つの俳諧』の作曲経緯にラヴェルが登場して、アドバイスを与えたりしていたら研究としては面白くなったのだが、そういうようなことも残念ながら今のところは見当たらなかった。ただ、この『7つの俳諧』は非常に面白い音楽であるし、藤田嗣治が楽譜の表紙の絵を手掛けていることも興味深い。1曲目だけだが、良い録音を見つけたので下に貼っておく。⑥はラヴェルの日本音楽体験ということで次回以降詳しく書こうと思っている。⑦はラヴェルの死後に作曲されているので、あまり本シリーズには関係無い。
これだけの事実を見ると、どうしても「ラヴェルとドラージュの間で、日本の芸術に関する会話や議論等がされていてもおかしくないはず」と考えてしまいたくなる...しかし、先にも書いた通り私は英語と日本語しかできないので、ラヴェルの未発表の書簡を集めた出版物(フランス語)を隅から隅まで読んでこれに関して調べることもできない。もどかしい!
今日の結論
ドラージュはあまり日本で語られることのない作曲家だが、実は生涯を通して日本に興味があったのではないかと考えさせる。ジャポニスムや先の大戦に左右されず、常に彼の頭のどこかには日本があったのではないか、と。そして、そんなドラージュはラヴェルに最も近い友人、そして弟子という稀有なポジションにあり、二人が日本の芸術についても深く語り合っていたことは容易に想像できる(ただ、ここはまだ確たる証拠が無い)。まだ直接的な証拠は無いが、これだけパズルのピースが揃うとどうしても「それならラヴェルだって何かしら日本に影響された音楽を書いていても(書こうとしていても)おかしくないのでは?」と(毎回のように結論のところにこれを書いているのだが)思ってしまうのである。
さて、今回まではアンゲルブレシュト、ストラヴィンスキー、ドラージュと作曲家のラヴェルの友人たちに焦点を当ててきた。ラヴェルの家やラヴェルの邦楽体験の話の前に、ラヴェルの友人で大富豪の薩摩治郎八や、日本にフランス音楽を広めたピアニスト、アンリ・マルシェックスとラヴェルについても、次回以降書いていこうと思っている。
特別コーナー:私のお気に入りのラヴェル作品
今回の作品は『マダガスカル島民の歌』、私も音楽院の4年目の時に弾いたことがある思い入れが深い特別な曲です。1925年に作曲されたので、前出のドラージュの『7つの俳諧』の1年後に作曲された作品になります。
いつもドライでクールで、感情的になりすぎないラヴェルにしては珍しく、生生しい官能や野生が表されている曲です。1曲目のナアンドーヴは、まあなんともいやらしい歌詞なのですが、チェロの優しい愛撫のような旋律で中和されているんですよね。そして、ラヴェルのピアノの使い方が絶妙なので、ピアノがピアノでないような美しい音が、途中聴こえたりします。恋人に骨抜きにされた人(性別はわかりません)と可愛いナアンドーヴの性行為の話だと私は解釈しています。
2曲目のアウア!のまあ暴力的且つ衝撃的なこと。それも歌詞の内容(ざっくり)が、「白人を且つて信じて島に招き入れたのに、彼らは裏切って戦争を始め、キリスト教を布教し、自分たちを奴隷にしようとしたが、最後には天災のおかげでいなくなった。白人に気を付けろ!」ということで、ラヴェルが政治的なメッセージを持ってこの詩をパルニーの詩集『マダガスカル島民の歌』から選んだとも考えられますね(真相はわかりません)。因みに1896年にフランス政府は正式にマダガスカル島を植民地にしたことを発表しています。
3曲目はPause(休息)という題名がついているように、刺激的な1・2曲目の後にホッとして聴けるような曲です。ここでも、名演を聴くとフルートやチェロがヨーロッパの楽器に聴こえないようなエキゾチック感を醸し出していて、ピアノも全く新しい楽器のように聴こえてくるような使い方をしているので、時々何の楽器を聴いているのかわからなくなる妖しい音楽です。曲の最後の方で出てくる打楽器のような音は、いきなり何処からともなく太鼓が出てきているわけではなく、チェロの人が楽器を手で叩いている音なんですね。南国のドロドロと暑い日に木陰で涼み、女を侍らし、彼女たちに官能的でスローな歌を歌わせたり躍らせたりしている、という図がまざまざと想像できる曲ですね。最後にいきなり口調が変わるのは、「夕ご飯の支度をしろ!」と命令しています。
そんなオランダはそろそろお昼の時間なので、私は昼ご飯の支度でもしに行こうと思います。第4回目のドラージュ回、目覚ましい結論では無かったかもしれませんが、ラヴェルの一番親しかった人物がいかに日本に興味があったか、というところを知って頂ければ幸いです。
ラヴェルと日本シリーズ