ラヴェルと日本②ラヴェルの友人、D.E.アンゲルブレシュト
シリーズ二回目となる今回からは、ラヴェルがどんな環境に身を置いていたのか、そしてそれがどの程度彼の創作に影響を与えたのかを、彼の友人たちの作品や言動から読み解いていく。
D.E. Inghelbrecht (デジレ=エミール・アンゲルブレシュト)とラヴェル
アンゲルブレシュト(1880-1965)はフランスの指揮者・作曲家で、アパッシュのメンバーでもあった。実はこの方、ラヴェル作曲の『ステファヌ・マラルメの3つの詩』の初演で指揮をしているし、ラヴェルが最後に聴きに行った演奏会の指揮も彼だった。ラヴェルの死後にもラヴェルの作品の録音を行い、ドビュッシーの友人でもあったことも知られている。
アンゲルブレシュトの作品に"Pour le jour de la première neige au vieux Japon" (1908年作曲, 古い日本の初雪の日のために)というものがある。この曲は『日本』がフランスの音楽界に表れた最初の頃の作品でもあり、アパッシュのメンバーの作品の中でも、アンゲルブレシュトが一番初めに日本からインスパイアされた曲を作った。このオーケストラ曲の解説には、初雪をよろこぶ日本人の習慣が紹介されている。(参考文献 ストラヴィンスキー―― 二十世紀音楽の鏡像, 船山隆著)
絵画におけるジャポニスムが1870年代のフランスで既に起こっていたことを考えると、その波が音楽界に到達したのはかなり遅めであったと言えるだろう。音楽批評家の松本太郎氏の「佛蘭西樂界に現れた日本」という古い文章が手元にあるのだが、松本氏が昭和18年の執筆時までに集めた「日本」が見られるフランスの音楽65曲を時系列に並べたリストの中で、アンゲルブレシュトの作品(1908年作曲)は6番目(2番目がドビュッシーの海(1903-1905作曲)、3番目がプッチーニの蝶々夫人(1904年初演)、4番目がドビュッシーの映像2巻 (1907年作曲), 金色の魚)となっている。
さて、1909年にアンゲルブレシュトの『古い日本の初雪の日のために』の初演が行われたのだが、聴きに行ったラヴェルが後に演奏会の感想を、友人のXavier Cyprien (Cipa) Godebski (1874-1937)への手紙の中で以下のように説明している。
"Praised be your mumps, which prevented you from hearing the concert of the Société Nationale! Oh, those rotten musicians! They can't even orchestrate, so they fill in the gaps with 'Turkish music’: Craftsmanship is replaced by fugal diversions, and themes from Pelleas make up for the lack of inspiration. And all of this makes a noise! From the gong, tambourine, military drum, glockenspiel and cymbals, used at random.
Inghelbrecht holds the record, with an additional xylophone and Chinese bells. Well now! In Japan ... it could just as well have taken place in Lithuania."
(引用 A Ravel Reader: Correspondence, Articles, Interviews, Arbie Orenstein著)
(私による勝手な日本語訳):君のおたふく風邪を称えよ、おかげで君はあの国民音楽協会の演奏会を聴きにいかずに済んだんだからね!おお、あの腐った音楽家たち!彼らときたら、ろくにオーケストレーションもできないからって『トルコ行進曲』ですき間を埋めるんだ。職人技はフーガ風の紛らわせに置き換えられ、ペレアス(ドビュッシーのオペラ、ペレアスとメリザンドのこと)の主題でインスピレーションが足りていないことを隠そうとする。こういうの全てが騒音を作るってわけさ!ドラからタンバリン、軍用のドラム、鉄琴にシンバルまで、ランダムに使われていたよ。加えて、木琴と中国の鈴を使ったアンゲルブレシュトが記録保持者だね。へーえ!これが日本...こんなのリトアニアでもあり得るぞ。
と、ラヴェルはかなりご立腹で、アンゲルブレシュトの『古い日本の初雪の日のために』が特に最悪だったことが伺える。最後の一文は、こんなしっちゃかめっちゃかは日本と言わず他の国だと言われても納得できる、というような意味合いではなかろうか。The Cambridge Companion to Ravelという本があり、そこで音楽学者のRobert Orledgeが「ラヴェルは自身が感心するエキゾチックな作品のこととなると、描写的で表面を掴んだものよりも、寧ろ内的で、本物のインスピレーションと音楽性を探し求めた。」と書いている。
今回の結論
アンゲルブレシュトの『古い日本の初雪の日のために』はIMSLPでスコアを見ることができるが、録音を見つけることはできなかった。今日演奏されていないことを考えると、ラヴェルが嫌ったように駄作であるのかもしれない。ラヴェルの反応やOrledgeの意見から考察すると、仮に彼が「日本」を音楽に取り入れようとしたとしても、安っぽくならず、精神的・哲学的な深みを持たせる音楽にするべきだと考えていたのではないか。
ラヴェルも一員だったアパッシュのメンバーに、日本に関する曲を書いていた人がいること、そしてその曲のクオリティに対してラヴェルが明確に嫌悪感を表していたことは大変興味深い。アパッシュのメンバーは互いに創作活動に影響を与えていたことを考えても、ラヴェルがアンゲルブレシュトの『古い日本の初雪の日のために』をどう受け取ったのかを知ることは重要である。次回は、アパッシュ内でのラヴェルの他の友人にフォーカスし、さらに彼の置かれた環境を掘り下げていこうと思う。
特別コーナー:私のお気に入りのラヴェル作品
というわけで今回は、散々な言われようで可哀想なアンゲルブレシュトの、指揮者としての一面にフォーカスして名誉挽回を図りましょう。
こちら、アンゲルブレシュトの指揮のラヴェルのダフニスとクロエで、1953年の録音です。かなり古い録音のため少々気になるところはありますが、まるで万華鏡を覗いているかのように色が変わっていく様子は十分伝わってきます。そして弦楽器の奏でる旋律のまあ色っぽいこと。この方、指揮の方が才能があったのかもしれません。