ラヴェルと日本⑤ラヴェルと3つのFoxtrotと日本の奇妙な関係
これまではアンゲルブレシュト、ストラヴィンスキー、ドラージュ、とアパッチ族のメンバー又はアパッチ族と関わりのある作曲家とラヴェルの関係を見てきた。今回は、フランス人ピアニスト・作曲家のアンリ・ジル=マルシェックスや、ラヴェルの日本人の親友だった薩摩治郎八らに焦点を当てて、1920年代のラヴェルと日本との関わりについて書いてみようと思う。(そもそも薩摩治郎八って誰やねん!という人は、まずはWikipedia先生をざっと読んでみてください。)
ラヴェルが20年代に最も親しかった男、薩摩治郎八について
大胆な見出しだが、これは薩摩本人が昭和48年(1973年)のインタビュー(『素顔の巨匠たち』音楽之友社)内で、本人がそのように言っている。
薩摩 あの人はモーリス・ドラージュという人と懇意にしていました。作曲家、有名な。そのドラージュと非常に懇意にして、ドラージュのうちに終始いっていましたよ。ほとんど入りびたりね。友達っていうのがあんまりいなくってね、そうね、終始会っていたのはドラージュと私くらい。
さて、薩摩治郎八は日本人なので、必然的に日本でされた研究や本人の著書を頼りに、どの程度ラヴェルと親交があったのかを探っていくことになった。英語で書かれている本には驚く程薩摩とラヴェルに関する情報が少ない。故に、修論を読んだ指導教官たちにも、ラヴェルと薩摩に関するところは特に興味深い、と言って頂いた。ラヴェル研究がそもそも進んでいるとは言えない、と私のピアノの先生であるブロンズ教授はおっしゃっていたが、本当にそうかもしれない、と研究を進めていて感じたものである。
この、1950年に出版された音楽之友社の『素顔の巨匠たち』のインタビューだが、本記事のテーマには全く関係ない、面白いラヴェルに関する情報が薩摩の口から語られているので、ラヴェルオタクの皆さんのために、いくつかここに挙げておこうと思う。
①ラヴェルはシューベルトが嫌いだった。そのかわり、イタリアの古い曲が好きだったそう。
→ただし、これには筆者は疑問を抱いている。ラヴェルの家を訪れた時に、彼の作曲部屋には自分で金属製の小さな板に彫ったシューベルトの顔が飾ってあったのを見た。もしシューベルトが嫌いなら、わざわざそんなことをするだろうか?
②ラヴェルは美食家だった。終始会っていた薩摩とは、食の話をよくしていた。そして、ラヴェルの家のキッチンはとても清潔だった。食事は女中さんが作り、レストランはいいところばかりに行っていたそう。
→いえ、もう清潔なんてレベルじゃなかったです、ラヴェルのお家。手術でも始めるんですか、というレベルの潔癖で...これに関しては、後日また書きます。
③ラヴェルの収入源は主に楽譜の出版、そして演奏会によるものだった。薩摩曰く「生活全体は比較的裕福ですね、とにかく。」
④ラヴェルはかなりのオシャレ好きだった。よく演奏会のために、ロンドンに行っていた。そこで、ネクタイを150本買ったりしていたそう。洋服も、いいものを着ていた。パリのデパート「バークレー」で薩摩は洋服を仕立ててもらっていたが、そこのエリナというカッターにラヴェルを紹介したら、エリナが自分の店を出した時にラヴェルはそこに行ったそう。
⑤薩摩の形容するラヴェルは「あんなおとなしい人はありませんね。本当におとなしい。それでしゃれ者ですからね。(中略)でもふだんはとにかく陽気な人でもってね。あの人はスペインに近いバスクの人ですよ。とにかく、あんな気楽な人はなかったな。」
⑥友達は少なめ。「終始会っていたのはドラージュと私くらい。婦人としちゃ、さっきいったジル=マルシェックスの奥さんね、ジャンヌ。これが一番懇意にしていましたね。」
→このジル=マルシェックス婦人に関しては後々触れます。
ラヴェルうんちくはここまでにしておき、ここからは記事のタイトルにもあるように、フォックストロット(Foxtrot)に関して書いていく。薩摩治郎八という人物について興味のある方は、村上紀史郎さんの『バロン・サツマと呼ばれた男』や、小林茂さんの『薩摩治郎八―パリ日本館こそわがいのち』がお勧めです。
フォックストロット①ラヴェル作『5時のフォックストロット』
ラヴェルのFoxtrotといえば、ラヴェル好きの皆さんなら真っ先に(というか一つしかない)思い浮かぶのが、1925年初演のラヴェルの歌劇『子供と魔法』の中の一曲『5 o'cloch fox trot(5時のフォックストロット)』ではないだろうか。フォックストロットは、そもそもアメリカで生まれた社交ダンスの一つであるが、作中では2つの中国製ティーカップがこの曲を歌っている。以下の動画の7分32秒からが5 o'cloch fox trotで、動画の概要欄から簡単に飛べるようになっている。
歌詞が英語で始まり、変な中国語や日本語が出てくるあたりからも、この曲がかなりぶっ飛んでいることが聴いたことのある人なら分ると思う。歌詞中に出てくる「Harakiri, Sessue Hayakawa!」を聴いた瞬間、「これだから外国人は、日本人を見ると必ずハラキリ、サムライ、スシだもんなぁ。」とラヴェルの無邪気さを少し笑ってしまったが、これは恐らく当時チャップリンと並ぶくらい大人気だったハリウッド俳優の早川雪州と、彼が出演していた映画「ハラキリ」のことを指していると考えられる。(下、早川雪州の写真。かなりの男前。)
フォックストロット②薩摩に捧げられた未発見のピアノ曲
さて、先に登場した昭和48年の薩摩のインタビューだが、こんなことも書いてある。
薩摩 あるとき私のために作曲してくれて......「フォックストロット」というのをね。
―薩摩さんのために?で、何の曲ですか。ピアノとか、ヴァイオリンとか。
薩摩 ピアノ曲です。そんなに長くはないです。
―すると楽譜なんかはお持ちですか。
薩摩 さあ、持っていたけど、今どうなったかなあ。
―薩摩さんに捧げられたわけですね。
薩摩 そうです。
「さあ、持っていたけど、今どうなったかなあ。」というところを読んで、がっくりきた読者は果たしてどのくらいいるだろうか。ラヴェルと同じ時代に生まれ、パリで親交を深めていただけでも涎が出る程羨ましいのに、ラヴェル様が折角作曲してくれた楽譜をどこかにやってしまうなんて、お前は何様なんだ!!!と大変腹立たしい。私もこれには黙っていられないので、ここオランダからどうにかして楽譜を探し出せないか色々してみた。
まずは『薩摩治郎八とパリの日本人画壇―1920年代、30年代のパリ事情』という展示会をした徳島近代美術館の江川副館長にメールを送り、今遺品がどこで管理されているのか、遺品の中に楽譜は無かったかなど聞いてみたが、何せ展示会も20年以上前に催されたので思い出せない、今遺品は早稲田大学中央図書館が管理しているのでそちらに聞いてみたらどうか、とのことだった。ただ、とても丁寧に対応してくださり、感動したことを今でも覚えている。その節はどうもありがとうございました。そして、教えて頂いた早稲田大学中央図書館にも、遺品の中に楽譜が無いか修論のために見せてもらえないか、と問い合わせたのだが「そもそもILL対象外の貴重資料ですので、そのご希望には沿えません。(中略)未だ整理中の資料群であるため、閲覧に供することも難しいかと存じます。」とのことで全く協力を得られなかった。日本に住んでいない私はこれ以上何かできそうにもないので、やむを得ずここで楽譜探索は切り上げることになってしまった。
インタビュー時点でどこにやったか覚えていないのなら、十中八九パリのどこかに忘れてきたのか、もしくはもう灰になってしまっているかのどちらかだろう。そもそも、日本にある遺品の中にそんな楽譜が混ざっていたら、今の今まで誰も気が付かない筈もないだろうし。ダメ元で何かできないかと思ったのだが、やはり成果は上がらなかった。もしこの楽譜が見つかったら、筆者としては大発見だと思うのだが...
楽譜の方は見つからなかったが、この曲が薩摩に捧げられたのはいつ頃だろうか?と考えてみると面白い。後に薩摩が親友と呼ぶラヴェルとの親交は、『1924年の新緑のまぶしいある日ドラージュの家』で始まったと村上紀史郎さんの『バロン・サツマと呼ばれた男』に書いてある。どうやら1924年の春先に、ドラージュ宅で他の作曲家(フローラン・シュミットやロラン=マニュエルら)が集っているところでラヴェルと出会い、その後数か月でラヴェルと薩摩はかなり仲良くなったようだ。ラヴェルの『子供と魔法』のフォックストロットが1925年に初演されていることを考えると、薩摩と親交を深めた1924年は恐らく長らく放置しておいた『子供と魔法』の作曲活動に、やっと重い腰を上げて取り組んでいた頃のはずである。この未発見の薩摩に捧げられたピアノ曲が、『子供と魔法』のフォックストロットの草稿のようなものであったら...と考えることはできないだろうか?そう考えると、テキトーにハラキリとか早川雪州といった言葉を入れたのではなく、何かしら薩摩を通して日本への興味みたいなものもラヴェルの中にはあったのではないか?楽譜が見つかっていなければ、正確な作曲年もわからないので確かなことは言えないのだが、それが一番筆者としては納得がいくと考えている。
フォックストロット③アンリ・ジル=マルシェックスのピアノ編曲版(日本で初演)
この回ではフォックストロットと名付けられた3つの曲から、ラヴェルと日本の関係を紐解いていくはずなのだが、ここでラヴェルの周りの恋の3角関係についても少し説明したいと思う。以下、前出の村上紀史郎さんの本を参考にしました。
薩摩が初めてラヴェルに出会ったのはドラージュの家だと上に書いたのだが、(因みに薩摩はラヴェルより先にドラージュと友人であり、ドラージュこそ芭蕉の俳句を元に薩摩に曲を書き、献呈している。)この時同行した恋人が、なんと村上紀史郎さんの本によると、ラヴェルの理想的なピアニストのジル・マル=シェックスの妻のジャンヌかもしれないと言うのだ。この人妻ジャンヌ、この記事の『ラヴェルが20年代に最も親しかった男、薩摩治郎八について少し。』のところでひっそりと、数少ないラヴェルの友達として名前が挙がっている。薩摩とドラージュとジャンヌはラヴェルの数少ない近しい友人たちで、そのうち薩摩とジャンヌが不倫をしており、ジャンヌの夫のジル=マルシェックスはラヴェルが気に入っていたピアニストで...とまあ、昼ドラみたいな関係である。そして、この薩摩とジャンヌの禁じられた恋は、どういうわけか意外な形で、日本でのフランス音楽の普及に貢献することになる。
薩摩は1925年秋に、ジャンヌの夫アンリ・ジル=マルシェックスをフランスから日本に招き、6日間に渡る演奏会を企画した。なぜ惚れた人妻の夫を日本に招待したのかを知りたい方は、是非、村上さんの本を読んで頂きたい。初めての演奏旅行が成功を収め、これを含めてジル=マルシェックスは1937年まで4回も来日し、日本についての研究を行い、論文も書き、日本からインスパイアされた曲まで作っている。勿論、それまで「クラシック音楽といえばドイツ音楽」だった日本の音楽界にも大変大きな影響を与えることになった。ここらへんは、白石朝子博士の「アンリ・ジル=マルシェックスによる日仏文化交流の試み ―4度の来日(1925-1937)における音楽活動と日本音楽研究をもとに―」という博士後期課程学位論文が非常に面白いので、興味のある方は是非読んでみて欲しい。私もとても参考にさせて頂きました。(下、ジル=マルシェックスの写真)
この1925年秋の演奏会で、ジル=マルシェックスはなんと『Five O'clock Fox-trot Fantaisie extraite de "L'enfant et les sortileges"』というラヴェルの5時のフォックストロットのピアノ独奏版を、日本初演するのである。ラヴェルはこの日本での演奏会の成功を特に喜んだらしく、オレンシュタインの本『ラヴェル―生涯と作品』にも、そう書いてある(が私は英語版を読んだので日本語版にも同じことが書かれているかはわかりません。)
このジル=マルシェックスのピアノ版だが、アムステルダム大学の図書館にわざわざフランスの国立図書館から楽譜のスキャンを取り寄せて頂いたものの、結構譜読みがめんどくさそうという理由で、まだ練習が始まっていない。いつか演奏会のプログラムにも入れたいところだが...。(下の動画はジル=マルシェックスのピアノ独奏版の5時のフォックストロットの演奏。)
さて、ラヴェルは他にもオーケストラ曲を書いているわけだし、わざわざ子供と魔法の中からこの一曲を選んで編曲し、それを日本で初演する理由があるとすれば、やはりこの曲と日本との関係性だったのではなかろうか。以下は私の推測である。まず初めに、薩摩へ捧げられたフォックストロットが着想され(因みに、ラヴェルは子供と魔法の台本を書いたコレットに、元々ブレーだったものをフォックストロットに、そしてオーベルニュのカップだったものを中国製のカップにするようわざわざ要求している。恐らくどうしてもこのシーンをフォックストロットにしたかったのだろう)それを子供と魔法の曲中にも使うことを考え、当時流行りの日本語も歌詞に少し入れ、その経緯をラヴェルと距離の近かったジル=マルシェックスは知っていたので、フォックストロットの編曲版を日本で初演しよう、と思ったのではないか...(以上筆者による壮大なファンタジーでした。)
結論
この記事に書かれた事実の部分だけをまとめると、下のようになる。
次回こそ、(多分)皆が気になるっているであろうラヴェルの家について書こうと思う。
特別コーナー:私のお気に入りのラヴェル作品
ラヴェルのジャズへの興味は、子供と魔法のフォックストロットが作曲された1924年頃(推定)にはもう芽を出しており、1927年に書かれた『ヴァイオリンソナタ』の2楽章のブルースから醸し出されるジャズ感も興味深いですが、1928年にアメリカに行き本場のジャズに触れた後に書かれた『ピアノ協奏曲ト長調』もジャズ要素が高く、こうして見るとラヴェルの20年代の作風からは、かなりジャズの香りがします。
今日のラヴェルはジル=マルシェックスではなく、Lucien Garbanというフランスの作曲家(1877-1959, アパッチ族のメンバーでもあった)が編曲したラヴェルの5時のフォックストロットのピアノ独奏版で、演奏はフランスの人気ピアニスト、アレクサンドル・タローのものです。
ジル=マルシェックス版と比べてかなり短くてコンパクな編曲で、これはこれでアンコールなんかに丁度よさそうです。