死にたいと思ったことはありますか?本当につらい気持ちの時、さとみさんはどうしていますか?
死にたいと思ったことは数え切れない程あります。今まで一度も死にたいと思ったことのない人と、私は本当の意味で友達になれないんじゃないか、くらいには思ってます。同時に、死にたいと思うことは、ある程度普通のことだとも思います。そもそも私たちは、自由な意思で生まれてきたのかも分かりません。たまたまこの国で、この時代で、この両親の元で、この場所で、いきなり生きなさいと投げ出されたも同然です。そりゃ、たまには死にたいと思って当たり前なんです。人生は始まりから理不尽な訳ですし、そこから解放される唯一の手段は死、なのですから。
辛くて死にたいと思ったこともありますが、哲学的な問いにより死にたいと思ったことも多々あります。小学生の頃から、死んだらどうなるのかが単純に気になって仕方がないので、死んでみたいと思っています。
この夏は、「自分には自由意志があることを証明する為に、私の死因は自殺にしようと思う」と意気込んで友人たちに話してみたところ、訳が分からないし怖いと、ドン引きされました。言ってる本人も訳が分かっていません。
でも、質問者様の文面からすると、辛いことに起因する死にたい、の方のお話をされているのでしょうね…
私が本当に辛い気持ちの時は、とことん辛い気持ちになるようにしています。私は中途半端に辛くなれないので、生きるか死ぬかまで追い込んで考え、悩み、もがき苦しみます。
ある程度のところまで堕ちると、自然と反動で気持ちが上がってきます。ここまで来たら、もう上がっていくしかない、という感じです。ただ、これは私のやり方なので、追い込みすぎて衝動的に自殺しそうな方にはお勧めしたくないです。
ただ、大体の辛いことは、あとで思い返してみると大したことがないんです。確かにその瞬間は、死にたいし消えたいし忘れ去られたいし投げ出したいし、もう何もかもを終わりにしたい。分かります。自殺する人の多くは衝動的にするんだそうです。確かに、死にたいと思っている時の衝動を、他のことに生かせたら私は何かで大成できるのにと思うくらい、アレは強力です。
しかし、死にたいと思う瞬間があるからこそ、心の底から湧き上がるような『あの時死なずに、踏ん張って生きていて良かった』と思える瞬間もあるんです。今まで私が「もう死んでやろうかと本気で思ったあの時間」を耐えた先には、必ず「生きていて良かった」と思えることがありました。死にたいその時にグッと踏ん張って生きていたら、後で絶対楽しいことがある、と思うようにしています。死にたい気持ちは、幸福税の前払いなのです。
あとは、「まだアレとアレとアレも読んでいないのに墓に入れない」と考えたりもします。常に読む本リストを限界まで溜めておくと、辛い時にも頑張って生きるモチベになります(これは人によるかもしれませんが)