ピアニストを目指そうと決心したのは何歳頃ですか?それ以外の道を考えたことはありますか?

3歳でピアノを始めましたが、そのうち特に何も深く考えずに「ピアニストになる」と言い出すようになっていました。私は一旦口に出すと引けない性格で、小学生の頃には既に心を固めていました。勿論、子供の私にピアニストがどんな風に生きているかなどの詳細なイメージは全く無くて、ただ漠然とそう考えていました。

10歳くらいの時に、人生初のショパンを弾いたのですが、ロンド作品1がかなり難しく譜読みを真面目にせずにレッスンに行ったところ、カンカンに怒った先生に「あなたはこんな譜読みをして、プロになりたいの?アマチュアで終わって良いの?」と聞かれました。その時初めて、アマチュアで終わりたくないと強く思い、半泣きしながら「プロになりたいです」と先生に伝えたのを今でも覚えています。

それからの人生も、ピアノが中心でした。高校生にもなると「なんで私はピアノを弾いているんだろう?」と疑問に思っている友人も周りにいたのですが、私は「なぜそんなことを疑問に思うんだろう?」と考えていました。私にとって、ピアノは歯磨きみたいなもので、やるやらないではなく、質問者様のおっしゃる通り「生活の一部」だったので。

留学してからは日本よりピリピリした環境におかれなくなり、自分について考える時間ができました。院生くらいの頃に初めて、「ピアノ以外の人生があったら一体どんな風になっていたんだろうか。今から専攻を変えて何か全く別の事をもう一度勉強できないものか」と考えるようになりました。でもあまりに世の中のことを知らなすぎるし、ピアノしか弾いて来なかったことを悟り、絶望しました。何かを始めるにはもう遅いし、積み上げてきたものが一般人と全く違う、とも思いました。

私は今27歳なので、人生のうち24年はピアノを弾いてきたことになります。他人から見える私は、光が当たっている部分の私であり、それはつまり「24年ピアノを弾いてきた、ある程度ピアノを楽しく弾ける私」です。光が差すところには影ができるように、私には「24年ピアノを弾かなかったら歩んでいただろう人生に憧れ、渇望する私」という影もあります。季節が変わるとそうであるように、たまにこの影が長く、大きくなったりします。そういう時は、本当にピアノをやめたくなります。しかし、光の当たる部分は勿論、影の部分も私のアイデンティティの一部です。影を受け入れ、光の当たっている部分の私と、影の私を良い具合に統合できた時、初めて自分の人生に上手く折り合いが付けられるのだと思います。しかし、今のところは数か月に一度は「ピアノやめたい、他の事をしたい」となっているのが現状でしょうか。


質問Satomi Chihara