なぜピアニストは魅力的な演奏ができるのでしょうか?...
魅力的な演奏ができるようになるのに必要なのは、才能と努力です。努力は後天的な要素ですが、才能は元々持って生まれたものが大きいです。そして、才能にも濃さがあります。街で少しピアノが上手いレベルから、小林愛実ちゃんレベルまで濃さがグラデーションのように存在すると思います。いくら私が小学校4年生の頃の徒競走で1位だったとしても、オリンピックの陸上で金メダルを取れるとは思いません。人間は個体差が大きく多様性に富んだ生物であるので、こればかりは仕方がありません。以下、私の考え方となります。
ピアノ演奏における才能という語は、ある種の運動神経の良さ、頭の良さや回転の速さ、耳の良さ、そして音楽的センスなどを包括した語であると思います。努力は、それらを後天的に補い、又は強化する試みです。例えば私は、8歳からずっと桐朋の音楽教室でソルフェージュなどの音楽教育を受けました。8歳の頃の私の才能は、恐らく「街で少しピアノが上手い人」程度の濃さであったかと思います。もともと壊滅的に才能が無かった訳では無い私が、日本一の音楽教育を受け、さらに色んなものを犠牲にしながら真面目に練習に取り組み、良い先生たちに巡り会えたので、今はある程度のレベルになっているのだと思います。
しかし、元々才能が世界的に見てもトップレベルで濃かった愛実ちゃんも、小学生の頃に私と同じように音楽教室に入り、日本一の教育を受け、努力を重ねた結果、今あのような素晴らしい音楽家になっています。愛実ちゃんは私と同じような教育を受けたのに、何故私は彼女のようになれなかったのか。それは、元々のスタート地点が、才能が濃い人とそうでない人だと違うから、に尽きます。
スタート地点が違う人間が世の中に存在する、ということを、私は中学生になる前くらいに悟りました。以降、才能がそこまで濃くない私は、才能が濃い人の何倍か努力をしないといけない、と考えるようになりました。当時の自分の弱みは、運動神経がものすごく悪かったことなので、基礎的なテクニックを磨き、指が速く動くようになることを目標とし、日々コツコツ練習をしていました。今でも、才能がとても濃い人たちにはあらゆる面で全く敵いません。しかし、こういう考え方でやれるだけのことはやってきたと思っているので、「ここまでしても埋まらなかった私と上手い人の差は、元々の個体差もあるので仕方が無い」と割り切ってピアノを弾いています。
練習方法は、実際の演奏を聴いていないので、具体的なアドバイスはできません。ただ、自分に合った先生のレッスンを受けると、自分が元々持っているのに埋もれていた才能が見つかることがあります。そういう先生は、正しい努力(練習方法)を教えてくださり、結果的にまるで元々才能が濃い人のような演奏ができるようになることもあります。私はショパンが元々物凄く苦手で、ショパンを弾く才能は、濃度で言ったら透けて向こうが見えるくらい薄かったと思います。しかし、院の時の先生に教えてもらったら、一本調子でセンス0の演奏をそれまでしていたことが信じられないくらい、上手く弾けました。先生との相性もかなり大事だと思います。